スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『初恋』

●『初恋
 (監督:塙幸成/出演:宮崎あおい、小出恵介、宮崎将 他)

……なにこれ?
予告編を観た時点で嫌な予感はしていたんですが、予想以上に「なにこれ?」感が満載だった『初恋』。
(※いい感じに酒が回っているので、ただでさえ少ないボキャブラリーが更に減少している事をお断りしておきます。失礼致します)
と云うのも、予告編は元ちとせの歌に乗せてそれなりに情感が誘う様に旨い事作ってはいるんですよ。
ところが。
宮崎あおいちゃん演じる主人公の役が“みすず”という名前なのだが、“原作/中原みすず”と云うテロップがで出た瞬間に一気にものすごーく嫌な予感が。
言うまでもなくその予感は当たってしまったわけなのだけど。
演出そのものはかなり真っ当だったと思うのですが、問題は原作の様な気がしてしまったのですが如何でしょうか。
脚本でなく、あくまで原作。
どういうスタンスで書いているかは当然解るんだけども、作者である自分と主人公を同じ名前にするって、何なの、この女のナルスティックな気持ち悪い感じは。
例によって一切原作を読んでいないので、あくまでも私の予想でしか物事を書いていないので事実を告げられてもああそうですかー、すんませーん、としか言い様がないのですが、この作品があくまでもフィクションである以上、そう思わざろう得ないのが事実。
多分、男性が原作者であったらこうにはならなかったというのが私の大方の予想。
そして観ながら更に「なにこれ?」となったのが耳ざわりの良い言葉が並んでいて、雰囲気良くそれっぽく聞こえるのではありますが、結局は何も語っていない、という。
つい最近の出来事でまるっきりそっくりだったのがアノ人ですよ。中田。

中田の引退表明の文を読んで、情感をそそりそうな気持ち良さそうな言葉を並べつつも実は何も語っていないじゃん、と私は思ったのですが如何でしょうか。
……という事を書くとサッカーファンの方々からの逆鱗に触れそうな気もするのですが、だって本当なんだもん、仕方無いじゃん。
試合後、グラウンドでこれ見よがしに寝そべらなくたって。
嗚呼、自分に酔うのが大好きなのね、と思った矢先にアレだったので。
だって何が「自分探し」なんだか……と思ってしまう訳です。
じゃあ今までアナタがやってきたのは何だったの、と。
例えば同じ引退、そして自分だ~い好きな新庄との差は一体……と思ってしまうのです。
だって新庄、自分が大好きだけどお客さんの事を常に見ているんだもの。
そんな所が愛せずにはいられない、彼の素晴らしすぎる部分なんですよ。
そして年齢と体力の低下に悩まされつつも意地でも頑張り続けているキング・カズの方がどれだけ人間臭くて格好良いか、と思っている事か。
もっと言うのならばジダン。
彼の決勝戦で取った行為は当然良くない事だけれども、普通なら最後の試合、しかもワールドカップの決勝戦ならば何を言われたとしても我慢してしまうのが普通だと思うのですが、それをふいにしてまでとったあの行為。
それが人間という泥臭い生き物だと私は思うのです。
そこが面白いものなんです。
それにしても。
そんな文章を「授業で使いたい」だのとほざき始めた学校教育には呆れ果てた先日だったりします。
以上、彼の貢献度とは別の部分でのお話でした。
(※因に友人から「それは姐さんだから。」と言う、たったひと言で全部、即中和して納得してしまった事を付け加えておきます)

余りにも余談が多過ぎまして申し訳ございません。
私は十代の内から柴田翔の『されど われらが日々――』や『贈る言葉』の類の書物やら映像を興味を持って見ていたクチなので、当然、後追いではありつつもそこそこには知識としては知っていたるするのですが、この手の題材を扱った物にしては稀にみるこの空っぽな加減。
出来が悪い物だったらいくらでもありますが、そういうのは気持ちが空回りしていたり稚拙だったりする場合が殆ど。
本作の場合は脚本も書いた監督がきっと原作を忠実に再現してしまったんだろうな、と私は予想しているのですが。
だってそういうのってモノローグの部分は原作通りなんだもん。
そんなワケで明日、本屋に行って確認してきまーす。
別に“初恋”というタイトルを付けてフィクションにした時点で、あの時代の考え方云々に関して深く描くとは思ってはいなかったので構わないのですが、だったら“初恋”というタイトルを生かす為に胸がきゅっ、となる話を描くべきでしょう?と私は思うのです。
アイデア自体は良いのに。何てもったいない事を。

コメント


管理者のみに表示

トラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。