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『大樹は風を招く(樹大招風)』

●『大樹は風を招く(樹大招風)』

監督/許學文、歐文傑、黃偉傑
脚本/龍文康、伍奇偉、麥天樞
出演/任賢齊(リッチー・レン)、林家棟(ラム・ガートン)、陳小春(ジョーダン・チャン)、杜燕歌(トー・インゴー)、張凱(チャン・カイ)、樂子龍(ユェ・ズーロン)、姜皓文(フィリップ・キョン)

樹大招風海報1 樹大招風海報2



 2016年の第53屆金馬獎は、実はセンセーショナルとも言えるノミネートをしている。
 『大樹は風を招く(樹大招風)』は最佳劇情片(最優秀作品賞)、最佳新導演(最優秀新人監督賞)、最佳原著劇本(最優秀オリジナル脚本賞)、最佳造型設計(最優秀メイクアップ&衣裳デザイン賞)、最佳剪輯(最優秀編集賞)という5つの賞にノミネートされ、最佳原著劇本と最佳剪輯を受賞した。
そして、最佳紀錄片(最優秀ドキュメンタリー賞)では受賞は出来なかったものの、香港の雨傘革命を若い視点で捉えた陳梓桓の『亂世備忘』、大陸のインディーズ系ドキュメンタリー映像作家・張贊波により著しい中国の経済発展の一環とも言うべき湖南の高速道路が新設される様子を撮った『大路朝天』という2作品がノミネートされていた。
 この3作品に共通すること、それは中国大陸での上映が禁止されている作品だということなのである。





 原題である中文タイトルの『樹大招風』とは「木が大きくなれば風当たりも強くなる。地位が高くなれば攻撃の目標にもなりやすい」という意味だ。
もう少し具体的言うと、「お金持ちや名声のある人にとって注目される事はいともたやすく、そしてトラブルも起きやすい」ということのたとえである。
日本語でいうところの「出る杭は打たれる」が近いことわざかもしれない。
 さらには英文タイトルの『Trivisa』にも非常に大きな意味が含まれている。
これは元々サンスクリット語の仏教用語で、「三毒」「三重煉獄」のことである。
 悪の根源である三毒とは「貪」「瞋」「痴」のことを指す。
「貪欲=貪婪=万の物を必要以上に貪り求める心(豚)」、
「瞋恚=仇恨=怒りの心(蛇)」、
「愚癡=人性的迷失=心性が愚かで一切の道理にくらいこと。また、心の迷いとも言え、真理に対する無知の心(鷄)」
これら3つの悪は煩悩に因るもの、という意味である(カッコ内はそれぞれを象徴
する動物)。
 愚癡の心から貪欲が生まれ、貪欲があるところには瞋恚あり、という連鎖により三毒、すなわち悪が見事に出揃うということなのだ。

 ここまで書けば『樹大招風』に於ける三毒とは、もろちん三大賊王と呼ばれる主役の3人を指すことだとお気付きになるであろう。
季正雄(クワイ=林家棟/ラム・ガートン)は「貪」、葉國歡(イップ=任賢齊/リッチー・レン)「瞋」、そして卓子強(チュク=陳小春/ジョーダン・チャン)は「癡」
ということである。
 簡単に言い換えると、彼らの成れの果てが下層世界である「餓鬼・地獄(修羅)・畜生」という三悪趣なのだと解釈をしても構わない気がする。
 ……というのも、餓鬼は赤鬼、修羅は青鬼、畜生は黄鬼のことなのである。
 金をせびる時だけ黄色、つまり金運にまつわる服をキめ、黄色いランボルギーニを乗り回す卓老闆(チュク)。
これが畜生の「黄」。(因みにモデルとなった張子強も黄色いランボルギーニに乗っていた)
 過去の犯罪の時はジーンズの上下。
身を潜めつつ心機一転で始めた電化製品の密輸商売を上手く行かせる為に大陸のお偉いさん達にへこへこする時に着ていたグレーのスーツに合わせていたネクタイは青の縞柄。
そしてクライマックスでブチ切れる時に青いポロシャツを着ていたのは葉國歡。
これが修羅の「青」。
 路上で警官殺しをし、名前を変えて身を潜めるかのように終始グレーや黒い色の地味な服を着て暮らしている季正雄。
だが、久々に大きな犯罪を犯すために用意した銃器を入れたのが子供用の赤いリュックなのである。
これが餓鬼の「赤」。
 このように実はこれら「鬼」の色を劇中でそれぞれの人物にそっと忍ばせていたことに気付いた時にはハッとした。
『樹大招風』はあらゆる箇所に様々なものを配置している、恐ろしいほどに綿密に作られた映画なのである。

 季正雄=林家棟のパートが許學文(フランク・ホイ)、葉國歡=任賢齊のパートが歐文傑(ジェヴォンズ・アウ)、卓子強=陳小春のパートが黃偉傑(ヴィッキー・ウォン)……というように、一人の監督が一人の登場人物の人生を描いている。
本来なら、それぞれが独立している小部屋のような映像作品郡を編集で見事に束ねあげ、ひとつのまとまりある大きな住居にしている。
 その最大なる役割を担っているのが、あらゆる場面で利用されるレストラン『風滿樓』の存在である。
 この店で葉國歡が大陸のお偉いさんをもてなすために料理を注文するが、逆に田舎者扱いをされてしまうメニューは鹹菜(梅菜)扣肉である。
実はこの料理は客家の名物料理である。
これもキャラの背景に関連するのかと思ったのだが、この件に関しては最後まで特に触れぬままであった。
 人物そのものには反映させたわけではないが、客家という土地を持たず、中華圏のあちこちに移動・定住し、商人として財を成す人々の様子、更には客家が大陸で何らかの差別を受けたりしていることなども薄っすらと含ませているのかもしれない。
 以上のことはあくまでも単なる深読みでしかないが、このレストラン『風滿樓』こそが『樹大招風』に於いて何を言いたいのか、ということを表している気がする。

 レストラン名ともなった『風滿樓』というのは、許渾の『咸陽城東樓(咸陽城東の樓)』の一節「山雨欲來風滿樓」の部分から引用されたのではないかと思うためなのだ。

『咸陽城東樓』
  一上高樓萬里愁,蒹葭楊柳似汀洲。
  溪雲初起日沉閣,山雨欲來風滿樓。
  鳥下綠蕪秦苑夕,蟬鳴黃葉漢宮秋。
  行人莫問當年事,故國東來渭水流。 

  一たび高城に上れば 萬里愁う
  蒹葭楊柳 汀洲に似たり
  溪雲初めて起こって 日閣に沈み
  山雨來らんと欲して 風樓に滿つ
  鳥は綠蕪に下る 秦苑の夕べ
  蝉は黄葉に鳴く 漢宮の秋
  行人問うこと莫れ 當年の事
  故國東來 渭水流る


《解釈》
  ひとたび高い城樓に登って周囲を眺めると
  万里の故郷への想いがひき起こされた。
  おぎやあし、柳の連なる風景は
  江南の川岸に 似ているからだ。
  まず谷間から雲が湧き起こったかと思うと、
  はや日は閣(たかどの)の向こうに沈まんとし、
  風が樓いっぱいに吹きこんで来て 、
  山の方から雨が降って来そうである。
  鳥が荒れた緑の草原に舞い降り、
  かつての秦の庭園は日が暮れてゆき、
  蝉が黄色く色づいた葉蔭で鳴いて、
  漢の宮殿あたりには 秋が訪れている。

  旅人よ、昔の秦漢のことは聞かないでおくれ、
  この古い都で昔と変わらぬのは
  東へ流れてゆく渭水だけなのだから。
(※公益社団法人関西吟詩文化協会のサイトより引用)

 『樹大招風』は1997年の香港返還前に「3人の窃盗王が徒党を組んで一大事件を起こすのでは?」という噂が黒社会界隈で流れたのをきっかけに物語が動き始める。
それが返還前夜の話、という作品なのである。

 鄧小平が提示した一国二制度をもとにし、社会主義政策を将来「五十年不變」である、というニュースが流れるテレビを開始早々に映し出す。
そして1997年7月1日の映像で締められる。

 3人の窃盗王が直接は交わることはない。だが、実際は行き交っていた。
その場所こそがこの『風滿樓』なのである。
『咸陽城東の樓』の意味を踏まえ、「香港」と置き換えて読んでみると、この映画の全体像が見えてくるはずだ。
香港人と香港という土地と大陸と時の流れ――――『インファナル・アフェア』3部作に代表される、これらの暗喩を含んだ映画としては現時点での集大成となる作品だと言っても過言ではないと思う。

 大胆不敵、そして犯罪を犯すのも刺激を求めており、どこか楽しんでいるような卓子強ではあるが、有り金をはたいて最後の大勝負に出ては切羽詰まる。
だが、こんな愚かともいえる彼がいたからこそ「四大天王」ならぬ「三大賊王(三大悪党)」の計画が持ち上がったのだ。
香港の大富豪・李嘉誠をモデルにした人物から金を巻き上げる際に声高らかに歌っていた張學友(ジャッキー・チョン)の『怎麼捨得你』から事のすべてが始まる。
四大天王が初めて一同に会してステージで歌うらしいが、ラジオのノイズしか聞こえないのも彼らを象徴しているようでもある。
今となってはこの件は資料すら見当たらない。

 季正雄は警官殺しの後、生計を立てるために犯罪を続けてはいるが、身バレを防ぐ為にIDを焼き、昔の仲間すらも手にかける。
窃盗王とはいえど、そんなビクつきながら暮らす、肝の小さな人間だったりもするのだ。

 商売をする為に大陸のお偉いさん達にへこへこしても上手くはいかず、更には香港に戻ってくると、路上で職務質問を受けた警官に「大陸仔,柒下柒下(大陸野郎はマヌケだな)」と言われてブチ切れる。
その香港人・葉國歡を演じたのは台湾人であるリッチー・レンという、衝撃的な演出かつ、作り手が抱え込んだドス黒いモノを詰め込んだ、凄まじい作品なのだ。
ちなみに葉國歡がお偉いさんに「商売」の許可を貰うために贈るのは花瓶なのだが、何故に焼き物の花瓶なのか?
それは磁器=ボーン「チャイナ」という皮肉が込められている気がしてならない。

 三大賊王といっても結局、彼らはそれ以前に一般の市民であり、何かしらコツコツと仕事をし、それぞれ生計を立てている。
大陸から吹き寄せてくる風は彼らにも影響を与えていることも描いているのだ。
 最後に付け加えておくが、『樹大招風』は2017年4月9日に授賞式が行われた、第36屆香港電影金像獎に最佳電影、最佳導演(許學文、歐文傑、黃偉傑)、最佳編劇(龍文康、伍奇偉、麥天樞)、最佳男主角(任賢齊、林家棟)、最佳男配角(姜皓文)、最佳剪接(梁展綸、David Richardson)という6部門でノミネートされ、作品賞、監督賞、脚本賞、編集賞、そして主演男優賞という5部門もの受賞をした。
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『シェッド・スキン・パパ(脫皮爸爸)』

●『シェッド・スキン・パパ(脫皮爸爸)』

監督・脚本/司徒慧焯(ロイ・シートウ)
出演/吳鎮宇(フランシス・ン)、古天樂(ルイス・クー)、春夏(ジェシー・リー)、蔡潔(ジャッキー・チョイ)、田蕊妮(クリスタル・ティン)

脫皮爸爸海報1 脫皮爸爸海報2

 2006年に第50回岸田國士戯曲賞を受賞した佃典彦の戯曲『ぬけがら』は香港でも舞台劇として上演されて好評を博し、映画化したのがこの『シェッド・スキン・パパ(脫皮爸爸)』である。
 脚本家や舞台演出家としては25年というキャリアを積んでいる司徒慧焯(ロイ・シートウ)だが、映画監督第1作目として、この荒唐無稽な題材に挑んでいる。
実は2011年に香港で上演したこの作品の舞台劇を演出したのが、この司徒慧焯なのである。

 ちなみに、司徒慧焯は日本でもお馴染みの『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー3(倩女幽魂3:道道道)』や『スウォーズマン女神復活の章(東方不敗風雲再起)』など、数々の映画の脚本を執筆する一方、『夜半歌聲/逢いたくて、逢えなくて(夜半歌聲)』や、近年では『恋の紫煙(志明與春嬌)』、『恋の紫煙2(春嬌與志明)』、そして『カンフー・ジャングル(一個人的武林)』などでも、ちょっとした役を演じて出演もしている。



 母親も亡くなり、仕事も上手く行かなくて借金に追われることとなり、妻との間には気持ちのすれ違いが生じる。
そんなこんなで夫婦生活に亀裂が入り、妻から日がな離婚届を突きつけられる始末。
 さらには80歳となる父親(呉鎮宇/フランシス・ン)は認知症という、人生ドン底な窮地に陥っているのが、この映画の主人公で映画監督である田力行(ティン・レッハーン。古天樂/ルイス・クー)なのである。

 そんな状態の中、ジャンユー爺ちゃんの脱皮が唐突に発生する。
タイトルにもなる程の最大の見所でもある。
 超どセクシーさを醸し出す、ぬらぬら全裸姿のジャンユーを見ることが出来るのか、さらにはへろへろなストリップ後の、脱ぎ散らかした姿を披露するのかを期待していたところ、意外にも肉厚なしっかりとした着ぐるみ状態……。
いや、それもなかなかの愛嬌のある御姿だったりするのだが。
脱ぎ方も毎回、趣向が凝らしてある。これがまた非常に楽しいのである。

 ジャンユー爺ちゃんは日々脱皮し続け、10歳ずつ若返っていくという、何ともシュールな設定なのだ。
だが、ジャンユー無双、忍法ジャンユー分身の術かのごとく、ジャンユー6倍映画、つまりとんでもない程にジャンユーのインフレ映画となっているのである。
自分が大ファンである俳優さんが画面ぎっしりにインフレを起こしている状態を、是非とも皆様にも想像していただきたい。
過呼吸を起こして昇天しちゃうでしょ!!
 認知障害だけでなく、じょろじょろと尿漏れも起こしている、よれよれなジャンユー爺ちゃんが10歳ずつ若返っていくために、それぞれの世代の父・ジャンユーが登場。
結果的に文字通りの紅顔の美少年と化すジャンユー少年にまで至るために、サービス過剰ともいうべき作品に仕上がっているのであった。

 題材からしてコミカルなのは言うまでもないのだが、本作の最大の魅力は香港という地を上手く取り入れ、雄大なテーマにもしている点である。
 生きるのに困難と迷いが生じている息子が、いくつもの時代の父の姿を見続けながら、しかも順に過去に遡りながら、彼の生い立ちを理解する。
その父親により自らのルーツを見出していく様子が香港人ならでは……という描写だったりするのである。
 父の頑固でわがまま三昧な言動の背景に見え隠れし、人生に関わっていく香港のルーツとは一体、何なのか――――。
これこそが今まさに多様な形で香港人が使わんとしている重要なキーワードでなのである。
単刀直入に言ってしまうと、雨傘革命以降に生まれた映画の特徴が如実に表れた映画なのだ。
とはいえ、他の作品とは違うマイルドなアプローチの仕方と表現がされており、「ちょっと待って! 我々って実は……?」と、民族に関する原点回帰をし、今、改めてもう一度、自分たちのことを考え直してみようよ、という問いを観客に投げかけているようにも見える作品でもある。
 このような点が映画版ならではの上手いアレンジをしている部分ではないか、と想像せずにはいられない。

 硬いメッセージを送っているだけではなく、若返る父親に対して幼き頃のごとく、次第に心を寄せていき、少年時代に触れた楽しい想い出のアイコンがいくつも姿を現す。
日本人の我々にとっても身に覚えがあること、或いは新鮮に感じたりする箇所がいくつも登場するのだ。

 香港映画では「夢」を語る際に、その「夢」と共に「飛行機」が比喩のモチーフとして使われることが時折ある。
香港人の飛行機好きのルーツは一体何なのだろうか。
そこをいずれ掘り下げることが出来ればいいな……などとも考えているのだが。

 最後に小ネタのメモを数点。
 インフレ・ジャンユー状態で麺をすすっていた様子がドルビーサラウンドにて聞くことが出来た、家族みんなで食べていたもの。
これは「竹昇(升)麺」と呼ばれるもので、竹昇、つまり太い竹竿を使って圧力をかけながら生地を捏ね、それを薄く伸ばして切って作られる麺のことである。
多くの場合、アヒルの卵を使用して作る、いわゆる卵麺を指す。
香港、マカオ、廣東、廣西、貴州などで食べられているもので、主にワンタン麺にも使われている。
画面を観て「カレーか何かの麺?」と気になった方もいらしたかと思うが、このような性質の麺のため、黄色い麺なのだった。

 小物もちょっと楽しいものがいくつも発見できた。
 引き出しの中には香港人の必須アイテム『白花油』ならぬ『百花油』の小箱があり、駄洒落を忍ばせた小道具さんの遊びにもくすり、と笑ってみたり。
 
 ロケ地に関しては親子が住んでいた、布団などが干されていたりした通路がとても印象的な古い公屋(団地)は、漁光邨の中にある順風樓である。
 そして父親が闇雲にツケで買い物をする露天街市(市場)は筲箕灣の金華街露天街市。
 このように古き良き香港の姿を写し出し、残している作品でもある。

 『脫皮爸爸』は2016年の東京国際映画祭で上映されて以降、香港でも数回の上映はあったものの、未だ一般公開の予定が立ってはいない。
一応、最新のポスターには「2018年公開」とはあるのだが……。
香港の新聞の映画記事にも「早く観たい!」と書かれているほどの作品なのにも関わらず、この状態のままである。
 香港での数回の上映の御蔭で、2017年の第36屆香港電影金像獎では最佳男主角(最優秀主演賞)で吳鎮宇が本作でノミネートされたことも最後に付け加えておく。
ここ数年、金像獎にノミネートをされるためだけの上映をしている作品がいくつか登場する。
つまり、金像奬にて注目を浴びさせてから一般公開へ、という宣伝効果を狙っているようなのだが、香港製造の映画が一般公開出来ない現状、つまり苦戦している様子を『脫皮爸爸』で垣間見てしまっているような気がしないでもない。

『レイジー・ヘイジー・クレイジー(同班同學)』

●『レイジー・ヘイジー・クレイジー(同班同學)』
 (監督:陸以心(ジョディ・ロック/出演:郭奕芯(クォック・イッサム)、廖子妤(フィッシュ・リウ)、麥芷誼(マック・チーイ)、王宗堯(グレゴリー・ウォン)、陳靜、林婉靜、邵音音、蔡潔、盧惠光、曾國祥、徐天佑、蒼井空、李拾壹、江嘉敏

同班同學海報


彭浩翔(パン・ホーチョン)作品の脚本3本+プロデュース作品の脚本2本を経て、ついに監督デビュー果たした脚本家の陸以心(ジョディ・ロック)。
元からジョディさんの脚本で本作を制作することは決まっていたそうなのですが、プロデューサーであるパン・ホーチョンが女性監督を探しており、「それなら私に撮らせてよ!」ということで初監督作として本作が決まったのだとか。
プロデューサーの力とそれをサポートするスタッフの力って偉大……。



パンちゃん作品を観るたびにこの人は何故にここまで女心を繊細に、そして奥の方をえぐるような的確さで描けてしまうのか?と、疑問にすら感じていたのですが、本作を観てああ、やはりそうだったのか、と確信。
もちろんジョディさんの起用以前から「女性の事は解らない、難しい」などと発言しており、その上であれらの描写が出来ていたパンちゃんなのですが、ジョディさんが加わる事によって若さ溢れる脚本となり、より一層きめ細やかで複雑な女心を描くことが出来ていたのです。

但し、監督としては当然ながら未経験の素人同然な上、自身で書いた脚本を演出せねばならないという大きな難題が待ち構えていたわけですが、そこはキャリアのあるスタッフの皆さんにかなり助けられてここまでの仕上がりになったのだと思わざろう得ない部分も多少なりとも感じてしまったのは致し方無い事。
実の所、香港での本作の感想を読むと、見かけ倒しで宣伝と内容が一致してねーよ!という意見もちらほら。
センセーショナルなテーマ、そして香港映画に於いてヌードもある為にニュースにも頻繁に取り上げられたので、バジェットの多い作品を観に行く感覚となってしまったのかも、と想像してみたり。

今まではパンちゃんが脚本や現場で面白い要素や演出を盛り、作品としての面白さや深味を増していたのですが、それらを完全に削ぎ落として原石のような状態と化してフレッシュさ溢れる仕上がりとなっていたので、私個人としてはインディーズ・ムービーにちょい足しした程度の加減で作った、気持ちが一直線に表れた作品として『レイジー・ヘイジー・クレイジー』はとても愛らしい素敵な出来になったと思っているのです。

女子高生3人の友情、仲間意識、援交、嫉妬、恋愛及びセックス観、家族との関係などを瑞々しく描いた作品で、女性なら例え共感はせずとも納得してしまう描写の連続。
援交を始めるにせよ少女たちにはそれぞれの事情があり、よくある援交のタイプ(※但し我々が思い描く日本の援交のスタイルというよりも元締であるクラブのママがいる援交“クラブ”に近いもの)もあれば、おぼこい娘が好きな男性ひとりに囲われる愛人スタイルもあり。

内容が内容だけに当然ヌードシーンもあるのですが、一部のシーンを除いて、それらの裸はいわゆるエロを意味する裸なのではなく、彼女らの心情の吐露や素直さの表れで、言葉通りの「裸のままの女の子達」を意味する本音のシーンとなっているのです。
体育の授業後のシャワールームで裸になり、彼女らの根城となるアパートの屋上で裸になり、そして裸になって浜辺を駆けまわるという。
あくまでも性的な記号のヌードなどではなく、解放と開放のダブルミーニングにより、前に進む為の全裸なのです。

エロ目的以外で絶対に必要であるヌードを撮ってみたいという、女性の目線ならではの表現の仕方。
解放観に溢れ、未来に向かう姿の表現がまだまだ青臭いと感じてしまうのも監督第一作ならでは。

そんなキラキラと輝く青春につきものなのはもちろん恋愛でありセックス。
援交をしてしまう女の子達なので、セックス観に関しては結構オープンだったりする為、それによって引き起こる友情と男女間での問題も発生。
しかし女性による視点で描かれているので、「気軽にセックスする女の子とお付き合いする純朴な彼女」というのを無意識に差別をし、関係を深めようとする男のズルさがきっちりと複数描かれているのもある意味、見所。
鑑賞した男性らはその部分に対してどう感じていたのか、はたまたハッとさせられたのか等、その反応が私の興味の対象だったり。

最近でこそ青春映画が作られてきた香港映画界。
4年前の台湾映画『あの頃、君を追いかけた(那些年,我們一起追的女孩)』の爆発的ヒットに加え、2015年の秋、香港で観客動員数を塗り替えている『我的少女時代』の存在により、これから先、香港製の青春映画が増えてくるのかもしれません。
その先駆け的存在として、こういった若い同世代のための作品がようやく香港で、しかも女性の手によって生まれたという事実を知っておく為にも必見の新作映画です。
実は一昨年のストリートダンス青春映画『狂舞派』の大ヒットにより、イマドキな若者映画が一気に増えるかと期待していたのですが……残念ながら大して無かったですね。

『疾風スプリンター(破風)』

●『破風』
 (監督:林超賢(ダンテ・ラム)/出演:彭于晏(エディ・ポン)、チェ・シウォン、竇驍(ショーン・ドウ)、 王珞丹(ワン・ルオダン)、連凱(アンドリュー・リン)、歐陽娜娜(オーヤン・ナナ)、陳家樂(カルロス・チャン)他

破風海報


《破風》それは《風除け》を意味する言葉。
つまりロードレースに於けるアシストの意味。

台湾南部自転車ロードレースの強豪である炫光車隊(チーム・ラディアント)に所属する男子3人がライバルチームと戦い、台湾各地で連戦を繰り広げて台湾中を廻るロードレースパートなのが前半。

中盤はあれよあれよという間に何故だか恋愛パートにシフトして「ライバル」の意味合いすらも変わってしまう。

そんな恋愛ドラマがどんどん進んでしまい、そちらがメインの話となってしまうが為に、まさかこのままラストまでいってしまうんじゃ……?と不安になるも、更なる「えっ!?」というびっくり展開が怒濤の如く発生。
そこでとんでもない力技を発揮するのですが、いわゆる無茶苦茶な展開ではなく、見事にきちんとロードレースの話に戻し、興奮のラストで締めるという作品。
ネタの特盛り全部盛りに加えて、更に汁だくにしてしまったような映画。
そんな状態なのにも関わらず、ひとつひとつのエピソードがバラバラにならずにどーーーん!と綺麗なエベレスト状態で高くそびえて盛られ、一品として提供されるわけなのですよ。
ダンテの神曲の新章がまた新たなステージに到達してしまったというものです。



ロードレースに関して見事に無知な自分が観ても自転車競技がなんたるかが実況解説により理解出来る仕組みになっている丁寧さなのもとても嬉しい作品。

ロードレースという団体競技でありながら、個々の闘いも同時に描いている為、俯瞰と主観が混在しているような状態を両立させているので、先に書いた特盛り感が余計に増して感じられるのでありました。

しかも台湾中を巡るレースが故に「上から看る台湾」ことドキュメンタリー映画『天空からの招待状』を彷彿とさせる映像美で綴られており、景観の美しさや地形の多種多様性を自転車に乗りつつ楽しめる目線で撮られたカメラ、地面ぎりぎりという低位置撮影カメラ、そして上空から……などと様々な視点から観ることが出来るのはとにかく圧巻。
レース中の撮影も、特にこの台湾パートが試行錯誤していると見え、そこを見るのも面白いのであります。
走行する自転車の背後からカメラ搭載バイクが追跡撮影をしているのですが、中継車と見せかけて、それがしっかりと画面に写り込んだままというシーンなんていうのもあり。
そしてそのバイクで撮られた映像が同時にそのシーンで使われる為に「このカメラで撮影していたのがこの映像なのか!!」と思わず言ってしまう編集、つまりメイキング映像と完成映像を同時に見せられる半ドキュメンタリー映画ともいえるのです。

今回の林超賢(ダンテ・ラム)監督はドラマの中で登場人物らをいじめない代わりに『激戦 ハート・オブ・ファイト』に続き、キャストには長期トレーニングをさせていたのですが、その結果、撮影直前に主要キャストのひとりであった阮經天(イーサン・ルァン)が怪我により降板。
その代わりとして『サンザシの樹の下で』の竇驍(ショーン・ドウ)が急遽登板となったという経緯があったのです。

そう……。並走しながら手を繋ぎ、そこでバトンタッチという最高にキュンキュン♡してしまうシーンが本当なら彭于晏(エディ・ポン)とイーサン・ルァンだったはずなんですよ!!
……とはいうものの、好演したあっさり薄めなルックスのショーン・ドウと大きな子犬であるぽんスケ、といった良い対比が生まれたので、結果的にこれで良かったのです。

男達の友情、男達の特訓、男達の闘い(以下「男達の」は略)ライバル、師弟関係(しかも一部、やけに艶やかにふたりっきりで風呂にて密談をするという謎なシーンまであり)、裏切り、荒ぶり、嫉妬、不正行為……などなど。
BL連続ドラマ1クール分以上の要素が2時間に凝縮されている上にプロとアマの違いによる確執と恋愛が同時にぶっ込まれているのです。
つまりこれだけ男だらけの濃密密着いちゃこらどつき合い……どころかどつき愛があるのですから、この作品に関しては男女の恋愛なんて物は無駄なノイズでしかないのですよ!
いや、キャスティングやスポンサーなどの大人の事情があるのは理解しているつもりなのですが。
とはいえ、よくぞまぁ最終的にここまで交通整理が出来たな、と感心するばかり。

そんな恋愛パートはバッサリとカットし、ほんの一瞬だったのに鼻血を噴いてしまった男達が連なって脚のマッサージをし合うカットを合間合間に入れてくれたら良かったのに!
男だらけのマッサージ版『ムカデ人間』は本当に最高でございました。ごっつあんです!
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